
林傳宝氏のインタビューをお届けする前に、出会いのきっかけとなった林氏のお嬢様である林瀚(りんはん)との出会いについてお話させてください。
経営塾の友人、株式会社扶双常務の江村典子さんから林瀚を紹介されたのは7年前、彼女が18歳の時です。

千種駅横の公園のベンチで私を待っていてくれた林瀚は不安につつまれてその細い身体は公園の鳩に連れさらわれそうなくらいはかなげでした。
歩み寄って声をかけるとまだあどけない少女がそこにいて瞳はすがるようでもありましたが、瞳の奥にはしっかりしなくてはという意志を感じました。
その日から、だいたい月一回彼女と会い、進境と心境を聞く私たちの時間が始まりました。
日本語もおぼつかず英語などさらにわからない林瀚と中国語ができない私がどうやって対話したのか、今となっては私も不思議なのですが、彼女はだんだんと心を開いてくれて距離が縮まっていきました。
スポンジが水を吸収するように林瀚は日本語を習得し、一年間の日本語学校で得た成果は日本語検定一級に合格するという著しいものでした。
大学選びも迷うことなく、彼女はこの一年で大きく成長しました。
最初の一年、私はコーチというより母親のような気持ちでただただ彼女を見守り、離れていても無事でいてくれることを祈っている、そんなおももちだったと記憶しています。
大学経営学部に入ってから、彼女の成長はさらに加速し、私は林瀚に会うのが本当に楽しみで、約束の場所に向かう足取りは走り出さんばかりでした。外見的にもかわいくきれいになり、いつの頃からか親の期待というプレッシャーを楽しめるようになっていました。
大学2年目くらいからは、すでに壮大なビジョンを語りだし、話題はドラッカーに至ったり・・・、そんな林瀚との会話は、私にさまざまな幸せの要素を与えてくれました。
その時すでに、彼女は私にとって色んな話題を共有できるパートナー的存在になっていました。

いつもどう感じているの、どうしたいの、そんな問いかけを続け、いいね、すてきね、林瀚はそのままでいいよ、林瀚は絶対やりとげるよ、そんなメッセージを伝え続けた覚えがあります。
春・夏・冬 何回か中国に里帰りするたびに戻ってきた林瀚は、一回りも二回りも成長していました。
そのたびにりんパパの愛情あふれる、彼女の可能性を信じるメッセージを持ち帰ってきて、りんパパへの尊敬を私に伝えてくれていました。

林氏の偉大さは江村さんからも聞いていましたが、林瀚の中に生きている林氏のどんな状況下でも人生を切り開き未来を創っていく計り知れない行動力と人を大切にする人間主義に絶大な魅力を感じました。
日ごろ経営者の方々をコーチングさせていただいている私としては、林氏から多くを学びたいと思い2006年の萬達訪問が実現したのです。
2001年に私は、青年経営者研修塾に入塾させてもらいました。
私の所属した29塾では、当時副塾頭であられた榎本さん指導のもとで『経営寺子屋えのさん』を開催しておりました。その時、コーチとして起業したばかりの横山みどりさんが、発表をしました。
当時、私は、日本に留学を決めて来日したばかりの林瀚(りんはん)のメンタルケアができずに、悩んでいました。私は彼女の父親である林傳宝氏の親友で、どうしても父親とツーカーの仲である私には、心を閉ざした部分があり、互いに踏み込んだ話ができませんでした。

そんな時、コーチングの話と、『10代に対するティーンズコーチングもやりたい』
と言ったみどりさんの話が心に残りました。私は自分から手を挙げて質問をする性格ではないのですが、質疑応答の際は自然に手が挙がり、ティーンズコーチについての質問を投げかけていました。
この人なら、林瀚の内なるエネルギーを解き放ち、目標に向かって導いてくれるに違いない!と確信にも似た気持ちで、コーチングを依頼しました。以降は、会うたびに日本語表現能力のついた林瀚が、自分の言葉で話してくれるのが嬉しくてたまらなかったのを覚えています。